2018年02月13日

御朱印・難波八阪神社

1/13に、難波八阪神社に行ってきた分です
これまた更新が遅くなってすみません…
こちらの獅子が有名なのですが、見た事がありますか?
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獅子殿という、大きな舞台です
私は以前関テレで放送していた、大阪環状線Part2のドラマで観て初めて知りました(^^;)
難波もあまり行かないのに、駅近なんですけど、わざわざ行く方角では無いですし…
あまり北の方では馴染みが無いですね

ドラマは人情溢れたり、むっちゃ笑う回もあったり、「あぁそうそう!」と共感出来たりと楽しかったです☆
獅子は今宮駅の回「獅子おどし」で登場していました
放映から月日は経ちましたが、一度は見てみたいと、難波に行く機会もあったので、初詣で行く事にしました
13日だけど初詣?と思うかもしれませんが、初詣はいつ行っても良いんですって!

私は当日、難波駅前のビルであった、ユネスコ開催の世界各国のダンスを体験できるイベントの、日本舞踊に参加してきました
優雅な動き、日本人古来の身体の動きの解説、飛脚走り体験と、色々楽しかったです!
日本舞踊は壁が高い印象です
一番近くて一番遠い踊りかもしれませんね
難しかったですが、「間」が凄く刺激になりました

踊り終わって、神社に向かいます
アクセスは各線難波駅から徒歩10分以内で到着します
京都祇園の八坂さんは坂ですが、難波八阪は阪です
創建された年月日の資料は残っていませんが、1069年から1073年の頃から祇園牛頭(ごず)天王をお祀りする古社として世間に知られていました
ご祭神は、
素戔嗚尊(スサノオノミコト:ご利益は厄除け・疫病退散・商売繁盛・農耕殖産)、奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト:ご利益は縁結び・夫婦円満・安産)、八柱御子命です

神社は東側から入る事をお勧めします
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ちょっと見えていますが、鳥居をくぐると大きな獅子の顔のアップが楽しめます
獅子の高さは12m、奥行き7m、幅7m
昭和四十九(1974)年に造られました
このお口は舞台になっていて、お正月には、神楽・居合道など、夏祭りには、獅子舞・民踊等各種芸能が奉納されます
ドラマでは、旦那様が奥様へのドッキリでこの獅子からメッセージを伝えた場面がありました
目はライト、鼻はスピーカーの仕様です

右手を見ると本殿です
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お参りを済ませて左を向くと、
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何故、鯛と恋w
因みにこちらの神社、以前は招き猫や数百種の御守りに自販機みくじと、大阪ならではなネタ満載な神社だったそうですが、宮司さんの交代で止めてしまったらしく、現在はこの位ですw

御朱印を頂き、記念撮影です
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獅子殿ハンコもあるのが嬉しいですね

ミニ獅子とデカ獅子対決の、この構図が一番好きです(^^)
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アクセスも良いですし、見応えのあるある獅子殿は必見です
難波に行った際には、是非足をのばしてみて下さい


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2018年02月06日

御朱印・元慶寺

このシリーズは、2017/12/30、京都の西国三十三所と都七福神の御朱印を頂きに行った分の最終回です
たっぷりひと月前の内容になってしまいました(^^;)
私はレンタルサイクルを利用して回りました
この日に行った神社仏閣は7か所です
今回は7か所目、西国三十三所の番外・元慶寺です

当初の予定に急遽加わった元慶寺
基本的に旅はプランを決めてそれを回りきる事が好きなのですが、元慶寺はアクセスがあまり良くなさそうなので、自転車を借りている間に回る事にします
また、一度通った事がある道には土地勘が出来ますし、急な対応も知っている道ならば大丈夫です
実は去年、延々と東海道五十三次を歩いた事がありましてw
今回も蹴上~御陵(日ノ岡)を通るのですが、ここは昨年5月に歩いた、旧東海道のラストスパートなんです!

前回の行願寺(革堂)からは約5.6km
自転車では35分で到着しました
最後は住宅地で迷いましたが、地元の方に尋ねてみると、「そこの細い道行った所だよ」と教えて貰えました
私は前の小道の脇にこっそり自転車を置かせて頂きました
駐車場もあるのに後で気付きました(^^;)

天台宗のお寺です
ご本尊は薬師瑠璃光如来
諦観10(868)年に僧正遍照によって建てられました
僧正遍照といえば、百人一首ですね
「あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しはしとどめむ」
初めて作者を知った時に「坊さんかい!」とビックリしましたw
僧正って、僧官の最上位なのですが、世俗的だなぁ…と小学生ながらに思っていました
我が家は毎年親戚で百人一首をしていたので、触れる機会が多かったと思います
お風呂で覚えるシリーズの本が家にあったので、それで大体覚えましたね

(おかげさまで中学校の百人一首大会で2位になりましたが、以来正座で足がしびれる様になりましたw
以降、中学以降はこのシリーズの英単語に助けて貰いましたね!)
在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主と共に、六歌仙の1人としても有名です

では中へ
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都七福人の布袋さんを祀っている萬福寺に行った後だと、こちらも中国様式のお寺っぽいなぁとニヤリとします
境内は私が居てる間に計3人ほど出入りがあるだけでした
お参りをして、奥にある納経所で御朱印を頂きました
こちらは本堂とご詠歌
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「まてといはば いともかしこし はなやまに しばしとなかん とりのねもがな」

境内は狭いですが、花木も植えられていて、静かで落ち着いています
こちらは僧正遍照の歌碑
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天つ風の歌が書かれていますが、達筆過ぎて読めない……

掃除をされていたお坊さんが居たので、「門は中国様式ですか?」と聞いてみた所、「そうですね」で止まったので、自分で調べた所、
竜宮門という、中国・明朝の建築様式を取り入れたタイプとの事
京都三竜宮門の一つだそうです
うん、そこまで言って欲しかったので、私は書きます
是非訪れた際には、「おぉ、これが竜宮門か!」とじっくり見てから入って下さいね
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元々門の中には梵天と帝釈天が鎮座していた様ですが、今は京都国立博物館に出陣中との事でした
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因みに日本三大竜宮門は、江ノ島神社楼門(神奈川)、赤間神宮楼門(下関市・山口)、武雄温泉楼門(佐賀)です
私も家族旅行で赤間神宮に行った事があるので、そういえばあんな門だったなと思い出しました

西国三十三所番外は、
廃れかけていた西国三十三所を復活させた花山天皇か、
西国三十三所巡礼を最初に始めた徳道上人に関係のあるお寺です
元慶寺→花山天皇が、寛和2年(986年)19歳のときに出家し花山法皇となった寺。
法起院→徳道上人が晩年を過ごし、上人の廟がある。奈良県桜井市。
花山院菩提寺→花山法皇が隠棲し余生を送り、亡くなった寺。兵庫県三田市。
西国三十三所は順番通りに回る必要はありませんが、三十三所を巡り、彼らに思いを馳せるのも良いですね
私は一度行った所で無いと記憶に残らないタイプなので、
早めに行ってこうして調べながら書く機会を得られましたし、
今後はそういう歴史や興した人物等にも意識を向けて巡る事が出来ればと思いました

東海道の道まで戻り、懐かしい道を自転車で帰ります
三条河原町に自転車を返しに行くので、そのまま旧東海道のコースでしたが、改めてよく歩いたなぁと思います
日ノ岡の坂は自転車の方がキツかったです

河原町三条のホテルで自転車を借りましたが、当初の返却予定時間の17時までに返す事が出来ました
今後も時間を見つけて西国三十三所を回って行きます
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2018年02月02日

御朱印・行願寺(革堂)

このシリーズは、2017/12/30、京都の西国三十三所と都七福神の御朱印を頂きに行った分の6回目です
私はレンタルサイクルを利用して回りました
この日に行った神社仏閣は7か所です
今回は6か所目、行願寺(革堂)です

御所の南(南東?)側にあります
前回の六角堂からは自転車では10~15分程で到着しました
生憎自転車置き場がありません…
前の道に数台自転車が置いてあったので、そちらにご一緒させて頂きました(><)
気になって何回かチラチラ外に見に行きました…

お邪魔します
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革堂(こうどう)、または行願寺と呼ばれています
こちらも拝観料はいりません
天台宗のお寺です
寛弘元(1004)年に行円(ぎょうえん)上人によって建てられました
子を孕んだ鹿を射止めてしまった事を悔いた上人が、常にその革を纏って鹿を憐れんでいた事から「皮聖(かわのひじり)」と呼ばれていました
こちらが革堂と呼ばれる様になったのも、それが所以です
元々は上京区に創建されましたが、度々の災火によりお寺の場所も転々としてきましたが、宝永5(1708)年、現在の中京区行願寺門前町に移されました
ご本尊は行円上人の作と言われる千手観世音菩薩です

入った真正面に本堂があります
左手に曲がると都七福神の寿老人神堂、愛染堂等があります
本堂で御朱印が頂ける様だったので、先に寿老人の方にお参りに行きました
横には七福神の像が並んでいます
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我が家の床の間には、毎年お正月には七福神の掛け軸がかけられていました
祖母がよく「鯛を持っているのがえべっさん、女の人が弁天さん、鎧を着ているのが毘沙門天、小槌を持っているのが大黒さん、大きいおなかが布袋さん」と教えてくれていました
この5人はすぐ覚えられましたが、
寿老人と福禄寿は消去法です(^^;)
確か、横に鹿が描かれているのが寿老人…だったかな……
ん?
鹿?
さっき案内板でも鹿が何とか…と書いてあった様な
革堂(行円上人の皮聖)=寿老人(鹿を連れている姿で描かれている)
あぁ、こんな所で繋がった!
因みに寿老人の連れている鹿は玄鹿(げんろく)と呼ばれています

もう少し七福神の話をすると、寿老人は福禄寿と同体異名…つまり呼ばれ方は違うけれど同じ神様だという説があります
これまでも、七福神にはどちらか一方の名前をいれ、吉祥天や猩々等、もう一人神様を加える事があったと言われています
七は昔から縁起が良い数字だったんですね
大学時代、高田崇史のQEDシリーズで紹介されていて初めて知った知識です
六歌仙の暗号に載っていたと思います
歴史関係以外にも恐ろしい程の知識量と独自の価値観とミステリ要素…
一冊一冊が濃密で読むのに時間がかかりますが、とても楽しいシリーズです

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納経所では女性の方が一人いらっしゃり、参拝客の御朱印を書いていました
私は今回も西国三十三所、ご詠歌、七福神と3冊にそれぞれ書いて頂きました
こちらが都七福神の寿老人
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西国三十三所のご詠歌です
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「はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん」
寿老人は樹老人とも書かれることもあり、樹木の生命力から長寿を象徴しているとも言われています
ここで花や千草が詠まれているのも偶然では無さそうな気がしてきます
奥が深い!
西国三十三所の御朱印です
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時刻は15時になりました
元々こちらで終える予定でしたが、もう少し行動できます
「この後どうしよう…」という事と、「西国三十三所の回り終わった後」をふと重ねて考えました
そういえば、しっかり見て無かったけれど、御朱印帳の最後に三十三所以外のお寺も無かったっけ…
そう、番外です
三十三所に併せ、番外三寺、そして次の内から一寺(高野山、金剛峰寺、奥の院、比叡山、延暦寺、根本中堂、四天王寺、善光寺)を詣でるという、計三十七所が霊場巡りになると言われています
(外出時点では「うわ、番外ある!」というだけで、帰ってから計三十七所の話を調べて知りました
計6ページ白紙ページがあるのですが、
内、途中1枚施福寺のご詠歌を書いて頂いていたので、残りの白紙ページの配分に悩んでいますw)
という事で、今から行ける番外はあるかなぁと調べてみると、ありました!
次回は元慶寺に向かいます


posted by Ico at 20:54| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする